3.リキサ村。独立を祝うまつり
翌21日はリキサという村でのお祭り。朝出掛けようとすると民泊先の家族に呼びとめられた。昨夜のソウルフラワーの演奏を、「彼(中川さん)が発する言葉が一つひとつ、僕の体に入ってきて、エネルギーが溢れた。魂のある唄だった。今の東ティモールにふさわしい、本当のお祝いだ」と熱を込めて語ってくれた。
ディリの西に位置するリキサへ、美しい海を右手に道が続いた。マングローブの林も点在する。本来ならこの島で成り立ったかもしれない、海の恵みによる豊かな暮らしが目に浮かぶ。

大虐殺があった地で黙祷をし、会場へ向かった。村の人々は、郷土料理を用意して待っていてくれた。食材を手に入れるだけでも大変なのに、食卓は何種類もの料理で埋まった。白米、ビーフン、串焼き、野菜スープ…、どれもとてもおいしい。竹の骨組みに葉っぱで屋根が葺かれたステージは、植物で丁寧に飾り付けられた、手作りの温かみが伝わるものだった。しかしいざ始めようとすると停電。皆が協力し数時間苦戦してやっと灯った電球に拍手がおこり、祭りが始まった。民族衣装をまとった子どもたちによる歌と踊りのあと、東ティモールで大人気の「Vialma X」や「Radio FALINTIL」による演奏、ソウルフラワーの演奏と続いた。
客席の子供たちは日本からの音楽家に目を丸くし、演奏が始まっても身じろぎ一つしない。凝視するその目には迫力があった。この地に生まれ、武力侵攻と同化政策を見てきた目。軽いノリが少しも見られない現地の反応は日本で見られる音楽との接し方とはかけ離れていた。現地リーダーのアベリーノさんは、「反応が即物的、即興的でない分、心の中に深く入っている」という言葉をくれた。
私が見る限り、アベリーノさん始め、現地の若者や大人たちのソウルフラワーの評価は非常に高かった。彼らは、舞台脇にいた私に歌詞の意味を尋ねては、一つひとつ頷いた。「ヤサホーヤ…うたがきこえる 眠らずに朝まで踊る… 解き放て いのちで笑え 満月の夕」−−阪神大震災の被災者のために唄われた言葉が、東ティモールで唄われた。訳した言葉が、どこまで通じているのかはわからない。でも、人へ伝わる唄の力を私は強く感じた。
演奏が終わると、日本の方々の協力の報告と、楽器・文具の贈呈をステージ上で行うことができた。手にずっしりとくるプレゼントの重みに、日本の協力者の顔が浮かぶ。楽器は、短時間にもかかわらず段ボール3箱にもなった。現在設立計画中のリキサの学校で使われる予定である。
その後も、夜遅くまで現地の方との交流が続いた。何時間もかけて徒歩で来てくれた人、西パプアから来てくれた人もいて、参加者は全部あわせると500人を超えた。人々はいつまでも帰る気配もなく、その場で眠ってしまった人もいた。環音とソウルフラワーは翌朝出発だったので、再会を約束して、先に会場を後にした。
