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第一回目の企画−東ティモール独立祝賀コンサート


桜 1.東ティモールの独立   →独立祝賀コンサートとは

 東ティモールは2002年5月20日、21世紀初の独立国となった。
 バリ島から1時間半、日本の真南に位置するこの国は、16世紀からポルトガルの支配を受け、第二次世界大戦中は日本が占領。戦後、再び支配したポルトガル政権が70年代に植民地放棄をすると、文化・言語も宗教も違うインドネシアが併合を求め、武力侵攻を開始した。そこには石油の利権など、周辺国の事情も絡んでいた。武力侵攻開始後10年間で、住民の3分の1近くが犠牲になったといわれる。

 侵攻を受ける一方で東ティモールは平和的解決を求め、96年には独立運動の指導者と司教にノーベル平和賞が授与された。

 石油などをめぐってさらに複雑化する国際状況のなか、東ティモールは新たな一歩を踏み出した。インドネシア併合派によって破壊された街、森、海とともに、傷が癒えないままの出発となった。

 

桜 2.独立祝賀コンサート 

 5月19日、東ティモール首都ディリに到着。町を歩くと、焼かれた民家が生々しく目に入ってきた。その焦げ痕と対照的に、子どもたちの笑顔が眩しい。人々は、もう心配事は何もないかのように明るく見えた。しかし、独立日の祝賀コンサートには、支配された側の東ティモールと支配側との問題、特に文化面でポルトガルとの問題が縮図となって顕著に表れた。

 東ティモールではかつての宗主国であるポルトガルへの反感が強いと、現地スタッフから聞いていた。無責任に植民地放棄した後、独立が決まってからは再び文化的干渉を始めたと危惧されている。公用語が土着の言葉でなくポルトガル語になったこともさることながら、ポルトガル人に見られる、土着文化を尊重しないような態度が問題になっているのだと現地で実感した。

 コンサートを取り仕切っていたのはポルトガル・ブラジルを中心にした共栄組織だったが、進行は驚くほど酷いものだった。人材も技術もあるはず。明らかに手抜きである。前日になっても連絡は入らず、待ち合わせや約束は何度も破られ、遅れて始まったコンサートはポルトガル語の音楽をひたすら優先したものだった。東ティモールの出演バンドは当日大幅に減っており、私たちには「あと3時間待て」「演奏時間は5分で」などと言う。迫るコンサート終了時刻に焦りながらも交渉を続けていると、ポルトガル文化誇示にうんざりしていた観客が一気に盛り上がった。ステージを見ると、ソウルフラワーの唄い手である中川敬さんがファッションショーの列に続き色っぽくポーズをとっている。大ウケの観客。止める主催側を振り切ってソウルフラワー1曲目が始まった。見違えたように観客が湧く。一方主催側は司会者に一曲で演奏を終わらせるよう合図を送っている。しかし東ティモール人の司会者はこれを拒否。後に聞くと、東ティモールでこのような強い拒否を見るのは珍しいという。びっくりしている主催側を尻目に、むりやり3曲続けるが、それ以上は許されず、全4曲で演奏を終了。約束の演奏時間ももらえず、MCも入れられない悔しさが残る。ソウルフラワーの演奏強制終了とともに続々と帰り始めた観客は、ポルトガル文化に対してボイコットしているかのように私には見えた。

 コンサートの模様は地元のテレビで繰り返し流れ、すっかり人気者になったソウルフラワーは、街の暗闇を車で走っていても声をかけられ、道を歩けばサインを求められた。「ありがとう!」と叫んで三線を弾く真似をする子どもたち。ソウルフラワーもまた笑顔で応える。



 

 

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