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東ティモールは2002年、21世紀初の独立国となりました。
青い海と太陽、美しい島東ティモールは、長年の侵略を受け、
計り知れない犠牲がはらわれました。あまり知られていませんが、
私たちのくに「日本」と、とても関係の深い国です。




■東ティモール民主共和国
日本からまっすぐ南へ約5,000km、バリ島近く。四国くらいの大きさ。人口約80万人。侵攻を受けた事情から、9割以上がカトリック教徒。元来は土着の自然崇拝がある。侵攻の被害により、世界の最貧国のひとつと言われる。平均寿命は57歳。幼児の大半は平均体重を下回っている。

■東ティモールの被害
 東ティモールは16世紀から400年近くポルトガルにより植民地支配された。そのうち3年半は日本が占領。74年ポルトガル政権が崩壊すると、東ティモールは独立宣言を果たした。(15カ国が承認)
 しかし独立宣言から9日後、インドネシアが東ティモール侵攻を本格化。併合を宣言した。国連は併合を認めず、侵攻を非難し、即時撤退を求める決議を8回出したが、侵攻は放置され続けた。東ティモールでは侵攻を受けた最初の10年間で20万人(人口の3分の1近く)の命が失われたと言われている。
 インドネシアは、攻撃を続けた24年間、東ティモールを外部から遮断した。東ティモールの問題が一般的に広く知られなかったのは、インドネシアおよび協力国の報道戦略の成果でもある。

■東ティモール沖で見つかった石油
 東ティモール沖には、巨大な海底油田が見つかっている。最も大きな油田は300億ドル以上の価値があるといわれている。
 東ティモールの併合を視野に入れていたインドネシアとオーストラリアは、1972年ティモール海底領域を分け合う条約に署名した。条約はオーストラリアに有利なものだった。オーストラリアは、インドネシアによる東ティモール不法占領を黙認し、インドネシアとの交渉の第一歩として、78年には法的に占領を認めた。東ティモールの油田はオーストラリアだけでなく、日本やアメリカ、その他大国にとっても重要な問題だった。

■東ティモールの独立
 東ティモールではインドネシアに対しゲリラ戦が展開された。独立の正当性を訴え続け、96年には代表者がノーベル平和賞を受賞。
 98年インドネシア政権が失脚すると、関連の大国は交渉先をインドネシアから東ティモールに変えるべく方針を転換し、東ティモール独立を支持した。石油利権の交渉などは、小国東ティモールに対して大国が有利なことはあきらかだった。
 独立を決める住民投票が承認され、99年8月に実施された。投票率は98.6%にのぼり、78.5%が独立支持。結果を知ったインドネシア軍は激しい襲撃を開始、インフラの7割が破壊され、犠牲者の推定も不可能なほど治安が悪化した。同年10月にインドネシアが撤退、2002年「東ティモール民主共和国」は独立した。

■日本とアメリカは
 インドネシアの軍撤退を求める国連決議に対し、日本は75年から82年まで8回の国連決議に反対票を投じた。(決議に対し 賛成国72、反対国10、棄権国43)
 日本は当時のインドネシア・スハルト政権に4兆円近く(日本人一人当たり3万円相当)の援助をした世界最大の協力国だった。その援助がなくてはインドネシアの軍事侵攻は成り立たなかったと言われる。99年9月、日本は「対インドネシアODA(援助)に変更なし」と発表。
 一方アメリカはインドネシアに対し軍事協力を行い、10億ドルにおよぶ武器を売却したと言われている。99年9月にそれらは中断するが、2001年9.11事件の10日後、アメリカ大統領はインドネシアとの軍事交流、援助を再会する声明を発表。
 東ティモールの独立後の2003年、独立を求めるアチェに対し、インドネシアは攻撃を激化した。

■参考文献・HP
・『いつかロロサエの森で 東ティモール・ゼロからの出発』
 南風島 渉 著 (コモンズ) 
・『東ティモール 奪われた独立/自由への闘い』
・『東ティモール2 「住民投票」後の状況と「正義」の行方』
 上記2冊、高橋奈緒子・益岡賢・文殊幹夫 共著(明石書店)
ティモール・ロロサエ情報

 

東ティモールとわたしたち---

 東ティモールの問題は、地球規模で起きていることを縮図にしたような問題です。それぞれの国は利益をもとめ、一方で犠牲が生まれ続けています。石油を求めて攻撃を行う政府は時に厳しく批判され、改善を求められています。しかし私たちは、独裁者や政治家だけに責任があると言えるでしょうか。
 増え続ける自動車、あふれるプラスチック製品、食べものから着るもの、化粧品、洗剤、アスファルトその他、町で見かけるほとんどのものに石油が使われます。それらの浪費を求めるのは私たち市民にほかなりません。中でも日本やアメリカが使う量は世界でもとびぬけています。大量生産、大量消費、大量の使い捨て。石油に限らず、冷暖房に頼り、電力に頼る生活、紙や木材を大量に消費する社会が現実にあります。私たち消費者が暮らし方、つまり、買い物(市場)を少し変えるだけで、資源を奪い合う戦争は減少へむかうでしょう。
 日本の島々では古くから、資源の浪費に頼らず自然を大切にする生活が長い間保たれてきました。現在、その智恵は見直されつつあり、循環型の社会が目指されています。その努力は次世代を守るだけでなく、戦争を減らす大切な力です。東ティモールに流された血と涙を繰り返さないために、私たちができる小さな行動はたくさんあるはずです。

文責/広田奈津子

 

 

 


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